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旭川地方裁判所 昭和40年(わ)144号 判決 1965年10月27日

被告人 高橋次夫

昭一九・九・一三生 無職

主文

被告人は無罪。

理由

一  本件公訴事実は

被告人は

第一  土工夫として稼働する意思がないのに、ある様に装つて、昭和四〇年一月五日午後六時頃、枝幸郡浜頓別町字下頓別ちどり食堂こと酒井トメ方において、松原幸吉に対し、「必ず四月一日頃から仕事に行くから前借金を貸してくれ。」と申し向け、同人をしてその旨誤信せしめ、よつて即時同所において、同人から前借金名下に現金一万五、〇〇円の交付を受けて、これを騙取し

第二  昭和四〇年五月一六日午後七時一五分頃、旭川市南一条二〇丁目路上に駐車中の乗用自動車において、小泉公子所有に係る黒皮ハンドバツグ一個他二点(時価合計五、〇八〇円相当)を窃取し

たものである。

というのである。

右の事実は、当公廷で取り調べた証拠により優にこれを認めることができる。

しかし、医師河田宏作成の鑑定書および証人河田宏の当公廷における供述によると、被告人は、右各犯行当時、精神薄弱および精神分裂病のため、心神喪失の状態にあつたものと認められる。

二  この点、検察官は、被告人が犯行当時精神薄弱であり、かつ精神分裂病に罹患していたことは、ほぼこれを肯定しつつ、しかし、これによる精神障害は心神喪失の程度に至らず、心神耗弱の程度にとどまるものであつたと主張するので、以下、犯行当時における被告人の精神状態を具体的に検討し、心神喪失と判断した理由を説明する。

三  まず、河田鑑定人の診断によると、被告人は、内因性の精神薄弱であるうえ、中学二、三年生の頃破瓜型の精神分裂病にかかり(接枝性分裂病)、その主症状である感状鈍麻と意欲減退とがきわめて徐々に進行したため、次第に人格変化をきたしたものと推定され、診断時(昭和四〇年七月五日から同年八月一〇日までの間)においては、

1  知能は、精神薄弱で、抽象能力はもちろん実際的、具体的知能も劣つており、その程度はほぼ魯鈍ないし愚昧に相当するほか、

2  情意の面に関して、

(一)  顔貌は表情に欠け、何時も硬く、笑顔を見せることがないこと

(二)  意思発動力が低下し、自発性がなく、動作は一般に遅いが反面、突然衝動的な行動を示すこともあること

(三)  しばしば空笑独語し、常同的姿勢をとつたり、衒奇的動作がみられること

(四)  指示されたことは突然敏速に行なうこともあり、人一倍遅いこともあり、ときには拒絶的となり、また全然聞えぬといつた態度をとることもあること

(五)  対話において自発的にものを言うことがほとんどなく、応答も遅く、何回も問うて初めて答える場合が多いこと(意思の疎通性に乏しいこと)

(六)  思考は空虚で深みがなく、一貫性を欠いていること

(七)  感情は鈍麻し、何事に対しても関心、興味を示すことがなく、質問が本件犯罪事実にふれても、一応口で悪いとはいうが、他人事のような気のりしない態度で「さあ」とか「そうです」等と答える程度にとどまり(その陳述内容は首尾の一貫性に欠け、作話的傾向もみられる。)、また、家族の面会にもなんら悦びの感情を示さないこと

等、精神分裂病の諸症状が相当顕著に観察される状態であつたと認められる。

四  本件各犯行時における被告人の精神状態も、以上述べた鑑定時におけるそれとほぼ同様であつたと推認される(河田宏作成の鑑定書および証人河田宏の当公廷における供述)。

五  次に、犯行に接着する時期を中心に、被告人の生活歴を概観し精神薄弱および精神分裂病に基づく障害が被告人の社会生活にどのような影響を及ぼしてきたかを検討する。

この点については、河田鑑定人によつて相当広範囲にわたる調査がなされているが、とくに次の諸点が注目される。

1  被告人は、中学三年生のころから、学習態度が悪くなり、衝動的な行為がみられ、周囲との協調性も低下した。

2  中学卒業後しばらく土工等をして働いたのち、昭和三七年一一月自衛隊に入り、昭和三九年一月まで勤務したが、その間の勤務ぶりについては、「能力は最低で、職務に対する積極性はほとんどみられず、いつも茫乎としており、また素直なところがなく、規則違反は日常再三であり、上官から訓戒注意を与えられても決して首肯せず、ときには衝動的に反抗することがあり、武器をもたせることに危険が感ぜられた。」旨評されている。

3  自衛隊を辞めたのち、一年足らずの間、飲食店や遊戯場の住込み店員として働いたが、その間の生活については、「仕事ぶりはきわめて不注意で、黙つて仕事を放擲することもしばしばであり、泥のついた自転車を畳のうえに上げたり、窓から土足で部屋に入つたりする等の奇行も少なくないうえ、雇主がいくら注意しても素直に聞き入れようとせず、強情を張つたり嘘をついたりするので、雇主ももて余していた。」旨評されている。

4  昭和三九年一一月突然下頓別の自宅に戻り、間もなく姉夫婦の勤めている宗谷郡小石炭坑に働きに出かけたが、全く労働意欲がなく、ただ姉の家でぶらぶらしているので、やがて自宅に帰された。

5  同年一二月二七日の夜、自宅において興奮状態におち入り、台所で出刃庖丁をもつて跳んだり躍ねたりし、体を壁にぶつけては独語高笑するなどして、一晩中眠らなかつた。その後、後記のとおり家出するまでの間、夜は余り眠らず、興奮はなかつたが、寝言ともつかぬ独語、空笑がみられた。

6  昭和四〇年一月五日、公訴事実第一の犯行をしたのち、両親に無断で家を出、旭川市におもむいた。その後は、駅舎等に寝泊りしながら、無為に市中を放浪していたらしく、その間、しばしばひどい風体で市内に住む姉の家をおとずれ、留守中窓からでも部屋に入り、無断で衣類、時計等を持ち出し、食事をしていつたりすることもあり、姉が注意しても効果がなく、無気味な感じを与えた。なお、同年四月二五日には市内の食堂で無銭飲食をはたらいた。

7  同年四月末頃、窃盗罪により逮捕取調べを受け、同年五月一二日頃起訴猶予となつて釈放され、迎えにきた実父に引取られたが、帰途実父に乱暴して逃走し、再び浮浪生活に入り、公訴事実第二の犯行にいたつた。

この生活歴を通観すると、生来精神薄弱であつた被告人が、精神分裂病の進行とともに、次第に人格変化をきたして、社会的適応性を失い、昭和三九年一月自衛隊を辞める頃からは、飲食店又は遊戯場の店員というような簡単な職業に従事してゆくことすら困難になつていた過程が明瞭に看取されるが、とくに同年一二月二七日夜の興奮状態(破瓜型の精神分裂病の進行過程に見られる緊張病性の興奮状態と診断される。)を経て、昭和四〇年に入ると、ますます情意の鈍麻が進み、遂に無為浮浪の生活に至つたものと認められる(河田宏作成の鑑定書参照)。

六  以上明らかにしたような精神状態からすると、被告人に対しては、本件各犯行当時理非善悪を弁別し、この弁別に従つて行動する能力を欠いていた疑いがあるものとして、刑事責任を否定すべきであると思われる。(精神分裂病者の刑事責任能力については常にこれを否定すべきものとする見解のほか、病状のいかんによつてはこれを肯定すべき場合があるとする見解があるが、本件については、この後の見解によるとしても、責任能力の存在に疑いがあると判断されるわけである。)

七  なお、証人河田宏の当公廷における供述中には、犯行当時における被告人の能力について、理非善悪を弁別しこれに従つて行動する能力は著しく減退していたが、全くなかつたわけではないとする趣旨に解される部分もあるが、本来、右の能力の存否は、精神医学による診断を基礎としつつ、これに法律的評価を加えて判断すべき事柄であり、同証人の供述をその精神医学的診断の部分を中心に全体としてみると(とくに、精神分裂病者の特質として、倫理感情が鈍麻し、社会的規範に対して無関心で、衝動的な行動に出ることを強調する趣旨の供述参照。)、それは、必ずしも前記の認定に反するものではないと思われる。

八  以上の理由により、本件は「被告事件が罪とならない」場合にあたるから、刑事訴訟法第三三六条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 吉丸真)

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